雪の降る日だった。幼い少女が誰もいない道端にうずくまり膝を抱えて泣いていた。
彼女はその日、家から行く宛てもなく飛び出したのだ。
逃げるように走って、それから疲れると、
とぼとぼどこまでも歩いてここまで来たが、行く宛てはなかった…。
少女の両手は赤く汚れていた…。
彼女は一種の病のようなものに蝕まれていたのだ。
いつも彼女は周りの空気にざわめきのようなものを感じるのだった。
女はそこに何らかの存在の主張を感じるのだ。
そして、「それ」は女の中に入ってきて、彼女の意識をかき乱す。
今、女の目は不安に揺れ、あらぬ宙を見て、ぶつぶつと何かをつぶやく。
体の動きは挙動不審で何をやっているのか分からず、その姿は奇怪だった。
元々は人の思考で動いていた人間なのだが、
この感覚に強く捕らわれている時は正常さを失っていく。
その感覚はある日芽生え、以来日に日に強まっていった。
それと共に彼女は自分の状態を恐れ暗く病んでいった。
この目に見えない気のようなものを魔精霊と呼ぶ。
これは世界のどこにでも存在するものなのだが、
普通の人間はこれを知覚することはできず、何の影響も受けない。
しかし、人間の中にも稀に魔精霊の存在を感じ、それと繋がる者が存在する。
彼らのことを精霊憑きと呼ぶ。
一度精霊憑きとしての症状が発祥すると、それはその人間の中でどんどん大きくなっていく。
魔精霊と深く繋がるほどに、魔精霊はその混沌とした意識を相手に流し込み、
不可思議な力を相手に与える。
精霊憑きの形態は様々で、本人の思考・体質などに影響を受けた個性を持つ。
魔精霊の力に魅入られ、化け物同然の存在となる者も後を絶たず、実に危険な存在である。
それゆえ彼らの多くは人の世界から隔絶されて絶望の中で日陰に生きるのだった。
そして、この不幸はこの親子の元にも訪れたのだった…。
その日、少女の母はいつにも増して状態が悪かった。
一種の末期状態と言っていい。苦しそうに嗚咽を漏らした。
ポルターガイスト現象のように家の家具がガタガタと揺れてあちこちに散らばった。
これこそがこの母親の力だ。少女はそんな母親を心配して泣き縋った。
「こ…の…中は何…!私は何度すれば…!ぐうぅ…あが…っ…ぅぐああ…!!」
「ママ、ママ!大丈夫!?しっかりして!」
そして、母親は錯乱状態となり、その少女を押し倒し、首を絞めた!
「どうして私の邪魔をする!何でこんなことになる!死ね…死ね!死ねええ!!」
「あぐっ!!マ、ママ…!やめ…て……!」
狂気と憎しみをむき出しにした目で少女を見る母の顔がまるで人でないもののように見えた。
もはや母に自分の姿は見えていないのだろうか。自分は殺されるのだろうか。
どうしようもない恐怖と悲しみで心が一杯になり涙が頬を伝った。
少女は必死の思いで自分の首を絞める母の腕を掴みどかそうとした。
その瞬間少女の手に不可思議な力が宿り、その手で掴んだ母親の腕が消し飛んだ!
「ぎゃああああああ!!!」のけ反り倒れる母親。
そして、恐怖に凍りついた目で彼女は少女を見た。「コ…コレット…!!!」
「わ、私…何を…?」精霊付きの因子は遺伝することもあるが、それは確実なものではない。
しかし、この時少女は悟った。母と同じ力が自分にもあることを…。
「あ…あ…!い、いやああああ!!」
コレットと呼ばれた少女はそこから逃げ出した…。
冷たくなっていく体の中で、手だけがじんじんと疼き震えていた。
母の目にはどんな世界が映っていたのだろう…。
そして、これからの自分は…。
そんな静寂の中、少女の元に近づく、さくさくと雪を踏む音が近づいてきた。
視界に影が映る。見上げると、優しげで品のいい金髪の女が、傘をコレットに差出し微笑んでいた。
「こんなところにそんな薄着でいては、風邪をひくわ。どうしたの?」
「私もう帰るところがなくて…。私は精霊憑きだった…。
それで私を殺そうとしたママを…!!」コレットは顔を覆って泣いた。
「そう…怖い思いをしてしまったのね…。
では、あなたのこれからのことを考えましょう?
私についていらっしゃい。きっとあなたの居場所が見つかるわ。手を見せて…。」
女は優しく言うとコレットの赤い手にそっと触れた。
すると、疼きに震えていた手がすうっと落ち着いた。
「私はローズマリーと言うの。あなたと同じ精霊憑きなのよ。
私はあなたたちのような子供を導きたいと思ってるの。」
この女は自分は精霊憑きだと言った。そんな風には見えない。
そして、コレットの手を癒した不思議な力…。
他に行く当てもなし、コレットはローズマリーについていくことにした。
後ほど、ローズマリーはコレットの母親を診たが、
既に救える状態ではなかった。対処するには時が遅すぎた。
ローズマリーは早い段階でこれをコントロールする術を
精霊憑きの子供たちに教える教師をしている。
そして、残されたコレットの新しい生活が始まった…。
「マリー先生、またあの子が泣いてるよ~。」
「ふええーん!だって全然上手くできないんだもん!私もうやらないっ!」コレットだった。
今彼女がやっているのは、周囲の魔精霊の状態を捉えること、
それに自分が惑わされないように自然に馴染むこと。
精霊憑きに必要な術の基本である。コレットはここで躓いてしまった。
ローズマリーはコレットの元にしゃがみ込んで彼女をなだめた。
「コレット、誰でも最初から上手くできるものじゃないのよ。
失敗は無駄じゃないのよ。そこから学んでいけることもあるんだから。
この教室に来て、それぞれ個人差はあるけれど、この初歩の術ができなかった子は一人もいないわ。
だから私はあなたにもできると思っているの。」
「ほんと…?」「ええ、だから頑張って。頑張ったら、先生休憩時間に美味しいお菓子を作っちゃうわ。」
「ほ、ほんと…!?」「えー!コレットだけずるい!」「あら、もちろん皆の分もよ。」「私頑張る!」
「心を乱したり、がむしゃらになったりしては駄目よ。
集中して、私の手に触れて、私のすることを感じて。
心を落ち着けて、相手をよく見るの。そして、触れてみて。ほら…怖くないわ。」
コレットは素直な心になって集中する。
ローズマリーの手を通して、彼女の感覚が伝わってくる。それを追い、倣った。
そして、摩擦を感じていた空気から手にふわりと優しく何かが触れるような感覚。
魔精霊が自分の中で静かに息づくのを感じた。
「できた……。」閉塞感ばかりを感じて生きてきた自分が始めて自分の力で成したこと。
コレットは心底嬉しそうに笑った。それから彼女は周りに心を開いていった。
それから、何年かが過ぎた。
ローズマリーが自分のいる施設で、二人の普通の人間の男と話をしていた。
「いつも情報と物資の提供感謝しております。
あなたが精霊憑きの問題に貢献してくださることで、
人の世界にまた一つの活路が見出せましょう。」
「それは光栄です。私にできることがあれば、ぜひそれを担いたいと思います。」
男の言葉に、ローズマリーは柔らかに微笑んだ。
それから男が言いよどみながら言った。
「それで…あの、こちらから提供できることについてですが…
我々の方でもなかなか意見が纏まらず…。
精霊憑きと人間の会談と支援の場を設けるのはなかなか難しく、
問題が問題ゆえに、しばしの猶予をいただきたいと申しますか…。
決してあなたのことを否定するつもりはないのですが…。」
「そうですか…。仕方ありません。それが現状ということなのでしょう。」
ローズマリーは動じることなく男の言葉を受けた。
「ところで、話も一段落したころで、お茶でもいかがですか?
子供たちのために大きなパイを焼きましたの。たくさんありますから、ぜひ。」
そう言って優美に微笑むローズマリーに一人の男がでれでれしてしまう。
「え、いいんですかあ?じゃあ、少し頂こうかなあ??」
(おいっ!馬鹿!)それをもう一人の男が影で蹴飛ばす。
「いえ、生徒との団欒を私どもが邪魔するわけには行きません。
これで失礼致します。」「また、お待ちしております。」
そそくさと立ち去る男たちにローズマリーはにこやかに見送った。
帰り際男たちはぼやいた。
「まったく、でれでれするんじゃない!相手は「魔女」なんだぞ?」
「すみません…。」「まったく、何でこんな仕事がまわってくるんだ…。」
「仕方ないですよ。化物どもの情報と浄化草、
精霊憑きを監視する存在は私たちに必要なものなんですから。」
そんな話をする男たちと一人の少年がすれ違った。
「こんにちわ、マリー先生。」
そう言って入ってきたのは少しラフな雰囲気のある普通の人間の少年だ。
「あら、こんにちわ、ランディくん。また背が伸びたみたいね。」
ローズマリーは彼をまたにこやかに向かえた。
「俺も14ですから。うーん、特に美味いもん食ってるつもりもないけど、
なんだかんだで栄養取れてるってことですかね。」
「これ、頼まれてたお薬と菜種よ、持っていって。レネ先生によろしくね。
先生お元気かしら?読書と研究のし過ぎで倒れてなければいいけれど。」
「あの人はたぶんむしろそれが生き甲斐なんですよ。
レネ先生はいつもマイペースで元気ですよ。
でも俺はあの人に感謝してます。マリー先生のような人に巡り合う機会も頂きましたし。」
「ありがとう。そんな風に言ってもらえるなんて嬉しいわ。」
ローズマリーとランディは施設の中庭で少し話し込んだ。
不思議な美しい植物たちがたくさん植えられている。
「さっきの人たちは、都市から来た人たちですよね。交渉は上手く行きませんか?」
「ええ…。その分努力していくしかないわ。
上手く行かないからと諦めていてはそこで終わってしまうから。」
「俺はマリー先生は結果を出してると思うんだけどな。
子供たちだってあなたの元で問題を消化して健やかに育っていくし、
あなたが作った浄化草だって魔精霊の悪性の働きを押さえる確かな効能があるのが実証されてるのに。」
「…きっと今まで私たち精霊憑きが築いてきてしまった負の歴史が大きすぎたということね。」
「そんなもんですかね。俺みたいなガキが言っても説得力ないかもしれないけど、
俺はあなたをおかしな人だとは思わない。
俺は普通の人間のいる世界と違う世界のことも知りたいと思います。
視野を広げて様々な知識を得ていくことが、生きる上で役に立つんじゃないかと思うから。」
「ありがとう。君のような子供がいるから、私も頑張りたいと思うのよ。
あなたのその素直にいろんなことを吸収していこうとする気質はとてもいいと思うわ。
でも、それに自分が振り回されすぎないようにね。人のことも自分のことも両方考えてみて。」
「熱心に社会勉強しているようだけど、君はやっぱり今もダルカスを見ているの?」
「それは…よく分かりません。あの人は自分は正しくないと言って俺の前から去っていった…。
俺はそれから何が正しいと思えばいいのかなんて分からなくなった。
それでもあの人の行動から目が離せない自分がいて…。」
「まだ若い君がそんなことを考えて悩むなんてね…。
こんな世界だけど、どうか健やかでいてほしいと思うわ…。
私はきっとダルカスには彼なりの考えがあるのではないかと思うの。
でも、それを君にとっての「絶対」とはしたくなかったのではないかしら。
それに彼が自分を「正義」とすれば、それに共感できない者たちは傷つくでしょうね…。」
「…あなたは私を慕ってくれるけれど、本当は信用しすぎというのもよくないのよ。」
ローズマリーはそう言ってくすりと笑う。
それから「でも、私はそれを勝ち取りたいと思ってるの。」と言った。
「世界はそれぞれがそれぞれに答えを持つ。それが時にぶつかり合うことは悲しいことだけど。
いつかその中で、皆が幸せになれる方法があればいいのだけれど…。」
ローズマリーの教室にて、子供たちが談笑している。
「君を迎えに来てくれる白馬の王子様なんているわけないよ~。」と一人の子供が言った。
一人の女子がそれにムキになって言い返す。コレットだった。
「そんなことないもんっ!だって本に書いてあるもん!」
「絵本の中にでしょ~。僕は見たことないよ~。もう絶滅したんじゃないの。」
「そんなことない!世界は広いんだもん。」「広かったら逆に探すのが大変じゃん。」
「む…でも、お姫様なら見たことあるもん。だから、王子様もいるの!」
「えーっ!お姫様って誰さ?」「マリー先生!」
胸を張って答えるコレットに今度はこの男子も何も言えなかった。
ローズマリーは「まあ。」とくすくす笑った。
「好きなものを信じればいいのよ。何に幸せを見出すかは自分の感性で決めることよ。
夢は必ず叶うものではないけれど、描いた分だけ何かが得られると思うわ。」
「うんっ!マリー先生大好きぃ~。ねえ、ぎゅってしてえ~。」「ふふ、コレットは甘えん坊さんね。」
コレットは新しい生活を楽しんでいた。以前よりずっと明るくなり、よく笑う子になった。
ローズマリーの存在がコレットにとって全てだった。
彼女を信じていれば自分は幸せになれると疑わなかった…。
そうした日々の中、最近ローズマリーには一つ気にかかることがあった…。
たぎるマグマの底から何者かの目が自分を見つめているような感覚…。
それが時折、鮮明に意識の中に入ってくる。その感覚は徐々に日増しに強まっていく。
ローズマリーはこのことについて調べることにした。
精霊憑きの仲間の一人が彼女に言った。
「やはり500年前に高山のマグマの煉獄に封じ込められた悪魔ガレスではないか?
今奴が蘇ろうとしていると言う噂がある。奴はあんたを見ているということか…?」
遠い昔、狂気に魅入られ強い力を持った精霊憑きのガレスは、長い戦いの末、高山の中に封印された。
ガレスはマグマの中で尚死ぬこともなく、あまつさえそれと一体化し、
彼を縛る特別な鎖も今にも切れそうになっていると言う。
ガレスは精霊憑きの魂を食って、それを自分の力にするのだ。
彼がこの世に現れれば際限のない破壊が始まるだろう…。
「噂が真実なら、私はその峰からできるだけ遠く離れたところに逃げようと思ってるよ。
悪いが、あんたともさよならになるな…。」そう言って男は去っていった…。
ローズマリーは都市の人間たちにこのことを話した。
「なんと…500年前に封じられた悪魔が蘇る…!?」
「ええ、ですから私の話を信じるなら、あなたたちも危機管理を怠りませんよう。
ここに私の調べた限りのデータがありますので、よろしければご参考に。」
「そして、あなたはどうするつもりなのです…?」
「私は…いずれは彼と戦うことになるのではないかと思います。
誰かが止めなければなりません。
恐らくガレスは私を標的の一人として定めています。
彼がこの世に現れれば、いつかは衝突することになると思いますので。
子供たちはあの高山からなるべく離れたところに批難させます。」
そして、やはりガレスは目覚めた。
ローズマリーの脳裏に荒々しい声が響く。『汝、我に魂を捧げるべし―!!』
その瞬間、ガレスの貫くような視線を感じた。そして、彼の体を縛る鎖が弾け飛んだ!
高山が爆発して山一つがこっぱ微塵に砕け散った。
目覚めの咆哮が空と大地を震撼させた。空に激しく紅い火の粉が舞った。
それはまるでこの世の終わりを思わせるような滅びの始まりだった。
(やはり来る!奴は私の元へ…!)ローズマリーは覚悟を決めた。
人間たちの抵抗をもろともせずに、ガレスは突き進んだ。
周囲の魔精霊をその身にふんだんに吸収させて、恐ろしい顔が愉快そうに笑っている。
ガレスは火の悪魔だ。火力兵器は通じない。人間たちは戦力の収集におおわらわだ。
人間たちの元にある相手の力を押さえる浄化草も、この事態には数が足りない…。
こんな時こそ人間たちと協力したい。
しかし、こんな時でさえ、ローズマリーを得体の知れぬ精霊憑きとしか思わない人間たちは
ローズマリーに協力せず、干渉も受け付けず、彼女の動きに関しては静観を決め込んだ。
ローズマリーは子供たちにこの状況を話した。
子供たちは不安で悲しくて、涙をこぼす者もいた。
ローズマリーはその子ら抱きしめ、いつもの優しい笑みを向けて言った。
「私の帰りを待っていてね。」すると、子供たちのささくれ立った心に光が灯るのだった…。
そして、ローズマリーとガレスはついに対峙することになる。
その周りを人間たちの軍隊が遠巻きに取り囲んで見ている。
「ついに合間見えたな。精霊憑きの子供を人として育てようとする愚かな女…。
その芳しい光を放つ魂、夢に見ておったわ。その魂、我が食ろうてやるわ!」
ガレスはビリビリと響く声でそう言って、地を揺るがすような哄笑をした。
その目は焦点が定まらないようにギョロギョロと動き、
しかし、深い狂気の炎に爛々と燃えている。身の丈は3メートルはあろうか。
その肉体は逞しく、火を纏っているかのような色をしている。
ローズマリーはその様子を冷ややかに眺め、失笑した。「何がおかしい。」
「他者を己の糧のようにしか見ることができないあなたの口上を滑稽に感じたまでです。
そのような者が真に何が得られましょう。」「ほざけ!所詮全ては力の前に跪くのだ!」
そして、次の瞬間、ガレスは口から光を放つ高速の火の玉を彼女目掛けて吐き出した。
それが彼女のいた場所を焼いた。しかし、ローズマリーは最小の動きでそれをかわした。
熱波の余韻で彼女の髪留めが解け、金色の髪が風に舞った。
「その手で私を捕らえられるかどうか、試してみるとよろしいわ。」
ローズマリーは微笑んだ。乙女の優美な微笑。しかし、それは氷の微笑だった。
ローズマリーの周りの空気が急速に冷えていき、青白い雷を纏った…。
この男には決して負けまいと誓った。
あのダルカスも遠くでそれを見ていた。ある人間が彼に言った。
「ダルカス、我々の力になってくれるな。あの化物を打ち倒すのだ。
金ならいくらでも出すぞ。兵器も好きなだけ使わせる。」
「…約束はできん。人間の兵器を相手に戦うのとは勝手が違う。
ここまでの精霊憑きの化物は未知数だ。奴相手に俺がどこまでのことができるのかは分からん。
まずあのローズマリーと言う精霊憑きの女の力を見たい。」
「あの精霊憑きの女など、どれだけ当てになるのか分からんだろう。
むしろあんな目障りな女など、あの化物と共倒れになってくれればありがたい。」
ダスカスはそんな人間たちを見て心中で冷ややかに毒づいた。
(身勝手なものだ。ともすれば、その訳の分からぬ女に
我らの命運がかかっているかも知れぬというのに。
無論、手を取り合って共に滅びるつもりは俺もないがな…。)
そして、彼はデータにだけは熱心に目を通した。
精霊憑き同士の力の衝突は実に危険なものである。
人間たちに与える印象もいいものではないだろう。
ローズマリーはなるべく、人の集落がない場所を戦いの場に選んだ。
なるべく事を荒げずに迅速に収めなければならない。
ローズマリーは狙い済ました必殺の一撃を狙うが、両者の攻防は拮抗した。
しかし、ある瞬間から力の均衡が崩れる。「くっくっく、やるな…。こちらも本気にならねばなるまい。」
ガレスはそう言い、空気を吸い込んだ。そして、次の瞬間。「グオオオオオオオオ!!」
ガレスの獣のような咆哮が大気を奮わせた。衝撃で生まれた風が吹き抜けていく。
メキメキと音を立てながらガレスの体が形を変えていく。
そして、正に化物としか言いようのない醜悪な恐ろしい姿に。
「グハアア…爽快な気分だ。力が溢れてくるぞ!力だ!もっと力をっ!!」
ガレスは本能のままに動き、その攻撃はラフで激しくめちゃくちゃだった。
しかし…その力は圧倒的だった。「くっ!」その攻撃にローズマリーは守りにまわるしかできなくなる。
彼女の表情に苦いものが浮かんだ。「フッ、遅い!」化物が笑んだ。
次の瞬間ローズマリーの体に衝撃が走り弾き飛ばされた。
ガレスの赤く燃える爪が彼女の肩口を引き裂いた。
攻防の中ローズマリーはボロボロになっていった。
心は激しい焦燥に捕らわれた。退くか?しかし、誰も彼女を助けてはくれない。
ガレスは膝をつくローズマリーに近づくと、その豪腕でマリーローズの胴を掴みぎりぎりと締め上げた。
「うっ!かはっ…!あああああ!!」マリーローズは苦悶の悲鳴をあげる。胴が焼ける。
(ここまでなの…!私には…私には守らなければならないものが…!
ここで終わってはならない!ここで終わっては…!!)子供たちの顔が脳裏を過ぎる。
瞳は見開かれバキバキと何かが砕かれる音と共に彼女の意識が弾け飛んだ。
一方子供たちは遠くに避難しながら不安な面持ちでローズマリーの帰りを待ちわびていた。
コレットは他の精霊憑きの気配を読む力のある少女だった。
危機的な自体に感覚が鋭敏になり、師と敵の心身の動きが彼女の心に鮮明に伝わってくる。
「きゃああ!」コレットは思わず悲鳴を上げて泣きながら頭を抱える。
「どうしたのっ!?」仲間が不安そうに聞く。「このままじゃ…マリー先生が死んじゃう!」
「そんな…嘘だろ!」他の子供たちもますます動揺した。そして、コレットは何かを感じ取りはっとした。
そして、コレットはがくがくと震え身を崩した。「マリー先生…!駄目…駄目…!!やめてええっ!!」
ガレスの腕に捕まっていたローズマリーの体が一瞬のうちに黒い霧となり掻き消えた。
「何っ!?」驚くガレスに間髪入れずにローズマリーはいずこからか一撃を見舞った。
ガレスは身を弾かれる。そして、目の前に立ち現れた彼女には只ならぬオーラを纏っていた。
「くくっ、いいぞ、その目だ…!
全てを貫くかのような狂気の炎がおまえの目にも燃えておるわ。来るがいい!」
自分の心臓が激しく脈打つのを体中で感じる。
魔精霊が自分の中に荒れ狂うように吹き込んでくるのを感じる。
ローズマリーの意識は正気と狂気の狭間でせめぎ合っていた。
肩で息をしながらローズマリーは強い意志で言った。
「認めない…!誰にも…私の願いを奪わせはしない!」
「ほう、まだ正気を失っていないか。さらに深く「こちら側」に来るがいいぞ。より深く!」
ローズマリーの変化を誘うようにガレスは強力な攻撃を仕掛けた。
戦いはエスカレートしていく。空が荒れ狂う。人間たちは慄いて彼らの攻防を見ていた。
「がっ…ああ…!」炎に包まれるローズマリーの背中がメキメキと音を立てて割れ、
そこから漆黒の翼が生えた。抗えない強い流れに飲み込まれてゆく自分を感じる。
この男を倒すために自らも彼と同じように化物へと変化していくのか。
「黒き翼か。おまえはそれで何を得たいのか。取り澄ました貌より似合いぞ。
否定できまい、力に高揚していく己を。今こそ力を求めることでしか己を救えぬと思い知れ!」
(私は…違う…!この男とは…!憎い…!!)必死の願いが追いつかない。そして…
そこに空から轟音と共に爆撃の雨が降り注いだ。人間たちの攻撃が始まった。ローズマリーもろともに。
ガレスは愉快そうに哄笑した。
「面白いぞ!屑のような人間どもが、どれほどのことができるのか見せてみろ!」
そして、ガレスは宙に手をかざすと、そこから放たれた熱波が敵機を炎上させ容易く打ち落とした。
「女、おまえは何を憎む―?我か?それともこの世界ではないのか!
哀れなものよな、おまえがいくらなけなしの努力をしたところで無駄なことよ。
世界がその前に立ちはだかり振り向くことはないからだ!
心地いいと思わぬか、その全てを焼き払う炎を?それが精霊憑きの生ぞ!!」
人間たちの行為にローズマリーの心は砕かれた。押さえつけていたものが一気にもろく崩壊した。
混濁してゆく意識の中で崩壊していく大地を夢に見る。その未来も遠くはないのかもしれない。
自分はそれをどうすることもできず、化物となりそれに加担するのか。
もう考えるのも疲れてしまった。その脳裏で自分を呼ぶ小さな声が聞こえる。
声が大きくなっていく。必死に自分を呼んでいる。呼ばれた先に雪の中で泣いている少女がいた。
(泣かないで…。ごめんなさい…私にはどうすることもできない…。)その手を握ってやることもできずに…。
そんなローズマリーの手を逆にその少女がしっかりと掴んだ。
はらはらと涙を流しながらも強くまっすぐに少女はローズマリーを見ていた。
「マリー先生、負けないで。先生の求めているものはあの人とは違うよ。
世界がマリー先生を受け入れなくても、その中で何かを忘れてしまっても、
コレットたちは先生を忘れないよ、ずっとずっと。いつまでも見てる。それは変わらないから。
先生は私たちにたくさんのものをくれたんだよ。だから負けないで!!」
その声にローズマリーの意識は引き戻された。混沌とした意識が瞬時に冴え渡る。
そう、これはいつもの自分だ。膨大に圧し掛かる魔精霊を強い精神力で制御する。
決して忘れてはならないものがある。黒い翼。負けまいと思いながらも、
自分はこの世界から逃れ、いずこかの遠い世界に羽ばたきたいと思っていたのかもしれない。
関係ない。例え世界に拒まれようと自分の居場所はあるのだ。あの子らの元に。
守るべきもの、戦うべき理由、それはしっかりと自分の中にあるではないか。
その変化にガレスは気付く。「まだあがくか。己の姿を見るがいい。その姿で何を願う!」
「そうね。私のこの姿は醜いでしょう。それでも私は足掻くわ。
この翼で羽ばたくならば、あの子たちのもとへ飛んでいきたい。
この世界はあなたの好きにさせるにはもったいないわ。」
そう言ってローズマリーは微笑んだ。涼やかに。
ローズマリーは身を極限までの冷気に包んだ。
(私は例え砕かれようとも恐れない。自分を信じるわ。
この身を一筋の刃に変えて、この一撃に全てを賭ける―!)
そして、氷の刃となり、ガレスの荒れ狂う炎の中を駆け抜けた。
その刃はガレスの胸を貫き穿った。
「何だと…?我は…この女に敗れ去るのか…?」この一撃でついにガレスの巨体は倒れた。
そして…ガレスの身に宿る灼熱を氷体に浴びたローズマリーもまた倒れた。
身が焼かれ崩れてゆく…。その中で彼女は思った。
(ああ…もうあの子たちの元に帰れないの…。まだまだ努力が足りないのね…。
こんなに遠くで…頭を撫でてやることもできない…。
でも、一矢報いることはできたのではないかと思うから、どうか許してね…。
私はあなたたちに救われたわ。ありがとう…。)崩れ去った体は灰となり、空を舞った。
その光景を見ていた人間たちは言葉を失っていた…。
今、闇を照らす朝日が昇ろうとしている。
コレットは師の心を感じ取っていた。そこに荒々しく暖かい光を見た。
コレットを始め、子供たちは彼女を囲んでわあわあととめどなく泣き続けた。
子供たちは指針となる存在を失った。これからは自分たちだけで歩んでいかなければならない。
それでもローズマリーが残してくれた希望を子供たちは感じていた。
これからは自分たちがそれを受け継ぎ強くならなくてはならない。皆がそう思った。
「マリー先生、マリー先生…!」彼女はこの世界から消えてしまったのに、
その存在がこんなにも強く自分の中に溢れる。「私、強くなる…!」少女は小さな胸に誓った。
後書きコメント
何を思ったか戦闘物に憧れてこんな話を書いた。
ガレスは荒々しく化物じみて、戦闘的なキャラクターを強く意識して書いた。
しかし、見事に描写に失敗している感がある。
ローズマリーは一見物腰柔らかだが、内に強さを秘める女。
クレバーで芯が強く、苦境の中で決して負けまいと生きてきた。
最後まで味方はおらず、何のいい思いをすることもなく、戦ってズタボロになって散っていく。
私は自キャラと距離を置いて突き放して書くのが特に好き。
ローズマリーの話には特にそれが強く出てる。
皆に愛されてちやほやされるタイプよりは、
踏みにじられてなお立ち上がるようなタイプにすごく惹かれる。
彼女が女だてらにこういうキャラクターであることも一つのテーマ。
合わない方は回れ右がお勧め。
もうルサンチマンにすら縋りたいとは思わない。
自虐で笑いを取れるようになることが今の目標。
口汚い本音全開です。2の話とかも普通にしちゃってるし。w
よい子は真似しないように。
言いたいことを言ってしまってるけど、
私の言葉には何の力もありません。
ここにある文章を勝手に無断転載したりはしないでください。(まずいないとは思いますが。w)
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